税理士事務所の承継は、一般の会社のM&Aと同じ感覚では進みません。理由は3つあります。
個人の税理士事務所には株式がないこと。税理士法人の社員(出資者)は税理士に限られること。そして、事務所の価値の大半を占める顧問先との契約を、所長の判断だけでは移せないこと。
さらに、税理士には法律上の守秘義務があり、買い手候補に顧問先の情報を見せる段階から配慮が要ります。この記事では、税理士事務所のM&Aで引き継げるもの・引き継げないものを判定表にし、事務所の形態ごとの手法、顧問先の引き継ぎ方、のれんの考え方、所長の引退スケジュールを整理します。
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個人事務所と税理士法人で使える手法が違う
最初に押さえるのは、売り手が個人の税理士事務所か、税理士法人かです。これで使える手法が決まります。
| 手法 | 個人の税理士事務所 | 税理士法人 |
|---|---|---|
| 株式譲渡 | 使えない(法人格も株式もない) | 使えない(株式会社ではない) |
| 顧問先の引き継ぎ(事業譲渡に相当) | 主な手法。顧問先ごとに新しい事務所と契約し直す | 使える。法人の一部の顧問先を別の法人・事務所へ移す |
| 買い手の法人に所長が社員として加わる | 使える。所長の事務所を買い手法人の支店(従たる事務所)にする | ― |
| 合併 | 使えない | 使える。総社員の同意が必要(税理士法第48条の19) |
| 社員の交代(出資の入れ替え) | ― | 使える。買い手側の税理士が社員として加入し、旧所長が脱退する |
税理士法人の社員は税理士でなければなりません(第48条の4第1項)。税理士でない会社や個人は、税理士法人の出資者になれないので、税理士法人を「買う」ことはできません。また、税理士または税理士法人でない者は税理士業務を行えないため(第52条)、税理士資格を持たない会社が顧問先を引き継いで税務を続けることもできません。
買い手が個人の税理士の場合にも制約があります。税理士は税理士事務所を2つ以上設けられないため(第40条第3項)、売り手の事務所を自分の2つ目の事務所として残すことはできません。顧問先を自分の事務所へ移し、売り手の事務所は閉じる形になります。事務所の場所を残したいなら、買い手は税理士法人を使い、その支店(従たる事務所)にします。
税理士事務所のM&Aで引き継げるもの・引き継げないもの(判定表)
○は手続きなしで続く、△は同意・届出・手続きが要る、×は引き継げない、という意味です。
| 項目 | 個人事務所の顧問先の引き継ぎ | 所長が買い手法人の社員になる | 税理士法人の合併 |
|---|---|---|---|
| 顧問契約 | △ 顧問先ごとに同意を得て新たに契約 | △ 契約の相手方が法人に変わるため同意が必要 | ○ 存続法人が権利義務を承継(第48条の19第4項)。契約の条項は要確認 |
| 税務代理の権限(税務代理権限証書) | × 新しい税理士が改めて提出(第30条) | △ 法人として改めて提出 | △ 存続法人として提出し直すのが実務 |
| 事務所の名称・所在地 | × 所長の事務所は廃止される | △ 買い手法人の従たる事務所として継続。社員の常駐が必要(第48条の12) | △ 存続法人の事務所として継続 |
| 業務の帳簿・顧問先の資料 | △ 顧問先の同意を得て移す。所長には5年の保存義務が残る(第41条) | △ 同左 | ○ 存続法人に移る |
| 職員 | △ 本人の同意を得て買い手が雇用(民法第625条) | △ 買い手法人との雇用契約に切り替え | ○ 包括承継 |
| 所長の税理士登録 | 業務を廃止すれば抹消(第26条) | ○ 社員として登録を続ける | ○ 社員として続く |
判定表で分かるとおり、顧問契約はどの手法でもほぼ自動では移りません。税理士事務所の価値が顧問先にあることを考えると、M&Aの成否は、顧問先が新しい担い手を受け入れるかどうかで決まります。
顧問先の引き継ぎと守秘義務
顧問契約は顧問先の同意なしに移せない
顧問契約は、顧問先が所長個人(または法人)を信頼して結んだ委任契約です。事務所の都合で一方的に相手を替えることはできず、顧問先ごとに説明し、新しい担い手と契約を結び直してもらう必要があります。
実務では、次の順番で進めることが多いとされます。
- 所長が主要な顧問先から順に、引退と後任について直接説明する
- 後任の税理士(または法人の担当社員)を同席させて紹介する
- 決算・申告を1期、所長と後任が共同で担当する
- 顧問先の同意を得て新しい契約を結び、税務代理権限証書を提出し直す
顧問先の残存率がM&Aの価値そのものなので、所長が顔を出さずに書面だけで切り替えると、顧問先は他の事務所に移っていきます。
守秘義務は「買い手候補に見せる段階」から始まる
税理士法第38条は、税理士が業務上知り得た秘密を正当な理由なく漏らすことを禁じており、税理士でなくなった後も同じとされています。
M&Aの検討段階で、買い手候補に顧問先の社名・決算書・申告内容を見せることは、この義務との関係で問題になり得ます。そのため、次のような段階の分け方が一般的です。
- 初期の検討では、顧問先を匿名にし、業種・規模・顧問料・担当年数などの一覧だけを示す
- 買い手候補にも守秘義務を課す契約を結ぶ
- 個別の顧問先情報は、その顧問先の同意を得てから、または引き継ぎの直前に開示する
名義貸しにならないように
引退した所長の名前で事務所を続け、実際には税理士でない者が業務を回すことは、名義貸しの禁止(第37条の2)に当たります。所長の名前を残したまま実務を別人が担う形は取れません。
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のれんは「年間顧問料の何倍か」で考えられることが多い
税理士事務所の売買では、のれん(営業権)の価格を顧問先から受け取る年間報酬の何倍かで表すことが多く、1倍前後が一つの目安とされます。法令や公的な基準ではなく、事務所の状態によって上下します。
倍率を上げる要因と下げる要因は、おおむね次のとおりです。
| 倍率が上がる要因 | 倍率が下がる要因 |
|---|---|
| 月額顧問料の継続契約が中心 | 確定申告だけ・相続税の単発業務が中心 |
| 顧問先が法人で、業歴が長い | 顧問先が高齢の個人事業主に偏っている |
| 職員が実務を回しており、所長の関与が小さい | 所長しか顧問先と話せない |
| クラウド会計などで業務が標準化されている | 記帳の方法が顧問先ごとにばらばら |
計算例:顧問先の残存率で支払いを決める
年間の顧問料・決算料の合計が3,000万円の個人事務所を例に取ります。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 年間報酬(引き継ぎ対象の顧問先分) | 3,000万円 |
| のれん(年間報酬の1倍を基準) | 3,000万円 |
| 契約時の支払い(50%) | 1,500万円 |
| 1年後、残存した顧問先の報酬に応じて支払い(残り50%) | 残存率85%なら1,275万円 |
| 支払い総額 | 2,775万円 |
顧問先が実際に残るかどうかは引き継ぎが終わるまで分からないため、支払いの一部を残存率に連動させる形がよく使われます。売り手にとっては、所長が引き継ぎに汗をかくほど受け取りが増える仕組みです。
所長の引退スケジュール
税理士事務所の承継は、契約を結んだ日に終わるものではありません。所長が顧問先と後任をつなぐ期間を含めて、2〜3年の計画で考えるのが現実的です。
| 時期 | やること |
|---|---|
| 引退の3年前 | 事務所の形態(個人・法人)と、手法の選択肢を整理する。業務の標準化を始める |
| 2年前 | 買い手候補(近隣の税理士法人、勤務税理士など)を探し、基本条件を決める |
| 1年前〜引き継ぎ | 所長が顧問先に説明。後任と1期を共同で担当 |
| 引き継ぎ後1年程度 | 所長は顧問や所属税理士として残り、問い合わせに対応 |
| 完了 | 業務を廃止し、税理士登録の抹消を届け出る。帳簿は5年保存 |
確定申告期や3月決算の繁忙期に顧問先の切り替えを重ねると、職員の負担が集中し、ミスや離職の原因になります。切り替えは繁忙期を外して計画します。
税理士法人の場合は、社員が1人になった状態が6か月続くと法人が解散します(第48条の18第2項)。2人の社員のうち1人が引退するなら、後任の社員を入れる時期を先に決めておきます。
税理士事務所を売る前のチェックリスト
- [ ] 事務所の形態(個人・税理士法人)と社員の人数
- [ ] 顧問先の数、業種、報酬の内訳(月額顧問・決算・単発業務)
- [ ] 所長しか担当できない顧問先の割合
- [ ] 職員の人数、資格(税理士・科目合格者)、残留の意思
- [ ] 業務の手順と会計ソフトの統一状況
- [ ] 買い手候補に示す資料の匿名化と、守秘義務の契約
- [ ] 所長が引き継ぎに関与できる期間
まずは「自分の会社がいくらか」を知るところから
ジョブカンM&Aでは、専任アドバイザーが事業価値の簡易査定から成約まで一貫して伴走します。相談は無料。売却・買収のどちらでもお気軽にどうぞ。
よくある質問
Q. 税理士ではない会社に事務所を売ることはできますか。
税理士業務そのものは、税理士または税理士法人でなければ行えません。税理士でない会社が顧問先を引き継いで税務を続けることはできないため、買い手は税理士か税理士法人になります。
Q. 顧問先に伝えるのはいつが良いですか。
基本条件が固まり、後任が決まった段階で、主要な顧問先から順に所長が直接伝えます。後任を紹介できない段階で伝えると、顧問先が不安になって他の事務所を探し始めます。
Q. 所長が亡くなった場合はどうなりますか。
個人事務所は、所長の死亡で業務が止まり、税理士登録も抹消されます。顧問先は他の事務所を探すことになり、事務所の価値はほとんど残りません。承継を先送りしないほうがよい理由がここにあります。
まとめ
税理士事務所のM&Aは、事務所の形態で手法が決まり、顧問先の同意で価値が決まる取引です。
個人事務所には株式がなく、税理士法人の出資者は税理士に限られる。顧問契約はどの手法でも顧問先の同意なしには移らず、守秘義務は買い手候補に見せる段階からかかる。
のれんは年間顧問料を基準に考え、支払いの一部を顧問先の残存率に連動させる形が現実的です。所長が引き継ぎに関われる期間を含めて、引退の数年前から段取りを始めてください。
参考
- 税理士法(第26条・第30条・第37条の2・第38条・第40条・第41条・第48条の4・第48条の12・第48条の18・第48条の19・第52条)https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC1000000237
- 民法(第625条)https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
この記事は、時点の情報を元に作成しています。
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