人事デューデリジェンスはM&A成功に不可欠なプロセスです。財務や法務と同様に、人事DDを怠るとM&A後に発覚する「簿外債務(未払い残業代など)」や「ディールキラー」となり得る重大な人事リスクを見逃し、最終的にM&Aの破談や買収後の企業価値毀損を招く可能性があります。本記事では、この人事DD(HRDD)について、具体的なチェックリストと進め方、そしてM&Aの成功に繋げるための活用法まで詳しく解説していきます。
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人事デューデリジェンスとは?
冒頭で触れた通り、人事デューデリジェンスは、人事面に関するデューデリジェンスのことです。買収対象会社が、人事的側面から見てどれだけ価値があるのか、どんなリスクを有しているのかを事前に調査・分析するプロセスを指します。
人事デューデリジェンスを実施するのは、一般的に、人事専門家のコンサルティング会社や社会保険労務士などです。買い手企業からの依頼によって、人事デューデリジェンスを担当することになります。
人事デューデリジェンスでは、主に、買収対象企業の人事制度全般および組織、労務管理などについて調査します。たとえビジネスモデルが優れていたとしても、人事制度などが整っていなければ、業績が伸びるとは考えにくいため、この点をしっかり調査することが大切なのです。
調査の結果、重大なリスクが見つかった場合、M&Aを実施しないという判断に至ることもあります。
デューデリジェンス(Due Diligence)は一般的に「DD」と訳されることから、人事デューデリジェンスは「HRDD」と表記されることもあります。なお、「HR」とはHuman Resourceの頭文字です。
人事デューデリジェンスの目的は?
人事デューデリジェンスの主な目的は、次の3つです。
それぞれ詳しくみていきましょう。
人事リスクを把握するため
まずは前述の通り、人事リスクを把握するためです。“人事リスク”とは具体的にはどのようなものかというと、たとえば次のようなリスクが挙げられます。
人事デューデリジェンスを実施しなければ、これらの人事リスクを把握できていないままM&Aを進めていくことになるため、統合直前などに「ディールキラー」が発覚して。M&Aが破談となる可能性も考えられます。
なお、「ディールキラー」とは、M&A取引の成立を阻止するか、または破談に導く可能性のある重大な障害や問題点のことです。「ディールブレイカー」と呼ばれることもあります。
企業価値評価(バリュエーション)に反映するため
企業に所属している人材のスキルや経験、業績などをもとに、企業の現状のみならず将来的な成長の可能性も考慮して、企業価値評価(バリュエーション)に反映させることは、M&Aを成功させるために不可欠なステップです。
なお、企業価値の評価の適性を判断したら、必要に応じて調整もおこないます。
人事PMIに活用するため
人事PMIとは、M&A成立後の人事領域における統合プロセスのことです。PMIとは「Post Merger Integration」の略です。M&A成立後には、経営や業務、意識などあらゆる面に関して買い手と売り手の統合をおこなうことになりますが、この際、売り手企業における人事システムや人材育成の方針などに関してきちんと理解できていなければ、買い手と売り手との間で衝突が起きる可能性があります。それを防ぐためにも、人事デューデリジェンスによって、売り手企業における人事周りの実態(特にキーパーソンの把握、組織文化の違い、人事制度の移行難易度など)を把握したうえで、統合後の人事PMIの具体的なアクションプラン(新制度移行、キーパーソン引き留め策など)を策定することが大事です。
企業価値評価(バリュエーション)に反映するため
企業に所属している人材のスキルや経験、業績などをもとに、企業の現状のみならず将来的な成長の可能性も考慮して、企業価値評価(バリュエーション)に反映させることは、M&Aを成功させるために不可欠なステップです。
なお、企業価値の評価の適性を判断したら、必要に応じて調整もおこないます。 | 企業に所属している人材のスキルや経験、業績などをもとに、企業の現状のみならず将来的な成長の可能性も考慮して、企業価値評価(バリュエーション)に反映させることは、M&Aを成功させるために不可欠なステップです。特に、未払い残業代や退職給付債務の不足額など、人事関連の「簿外債務」が発覚した場合、財務DDの結果と合わせて企業価値を下方に修正(ディスカウント)する重要な根拠となります。適正な評価のためにも、人事DDは不可欠です。
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人事デューデリジェンスの調査項目は?
人事デューデリジェンスでは、先に解説した通り、主に、買収対象企業の人事制度全般および組織、労務管理などについて調査・分析しますが、調査項目を細分化すると次の通りになります。
それぞれ具体的に次のようなことを調査・分析します。
人事制度
人事デューデリジェンスにおいてもっとも大切な調査項目は人事制度です。なぜかというと、人事制度の異なる売り手企業と買い手企業が統合した結果、あまりにも人事制度の変化が大きいと、買収された企業側の従業員が、不信感や不満を抱いてしまうためです。そうした事態を防ぐためにも、売り手企業の人事制度をきちんと把握して、M&A後には、一貫性のある人事体制を構築していくことが大切です。
人員構成
従業員の人数、職種、勤務年数、職種別業務内容、性別、年齢などを確認します。売り手側企業の従業員は、M&Aによって、自分の立場が変化する可能性に不安を感じて当然であるため、もともとの人員構成に配慮して、倍種後の人員構成を考えていくことが大切です。
組織体制
売り手企業内部の階層、部門間の関係、職務ごとの役割や責任の範囲などを調査します。さらに、入隊職者数および求職者、出向者の推移についても確認して、現状の組織体制を把握します。調査の結果、各職務の責任の範囲が曖昧であった場合や、離職者数や求職者数が一定のレベルを超えていた場合、M&Aの成功のためには改善策を考える必要があります。
役員
役員の経歴や実績、スキル、自社の業務のどんな点にやりがいを見出しているのかなどを調査することによって、重要な人材が離職するのを防ぎます。場合によっては、役職に就いていない従業員のなかにキーパーソンがいる場合もあるので、その場合は各キーパーソンについても同様の調査をおこないます。
人事システムおよびオペレーション
勤怠システムや給与会計システムなどの導入状況を確認します。外部ベンダーやグループ会社のシステムやオペレーションを活用している場合、契約関係についての状況も確認します。そのうえで、M&A成立後、システムやオペレーションをどのように反映させていくかを考えます。
従業員のリスク管理
メンタルヘルスおよび身体的健康の管理体制が整っているかだけでなく、緊急避難計画や安否システムの導入状況なども確認します。併せて、組織内での違法行為や不正行為などを通報できる窓口が設けられているかどうか、も確認したうえで、よりよい形での経営統合を目指すことが大切です。
労働組合
売り手企業に労働組合がある場合、労使関係におけるトラブルの有無を調査する必要があります。労働協約が的確であるかどうかは法務デューデリジェンスで調査する内容ですが、労使関係が健全であるかどうかは人事デューデリジェンスで調査します。
労務関係
労働協約や労使協定の状況、労働契約書のひな型などを確認して、売り手企業と買い手企業との就業条件の違いを把握します。特殊な労働契約を結んでいる労働者がいる場合、M&A成立後の対応について考える必要があります。また、就業条件と労働協約、就業規則、労働契約とに整合性があるかどうか、法令に違反していないかどうかを確認することも大切です。
有期契約労働者の状況
有期契約労働者は、5年を超えて契約期間の延長があった場合、有期契約労働者自身の申し出によって無期労働契約に転換することが認められています。これに違反することのないよう、有期契約労働者の契約状況および契約延長状況、もしくは解雇になった者がいる場合はその状況についても確認する必要があります。
労災状況
労災事故の発生頻度を確認して、頻度が高い場合は原因を究明して改善策を講じる必要があります。労災事故が起きている場合、補償の進捗についても確認します。きちんと補償できていなければ、簿外債務になる可能性があり、そのことが買収後の業績悪化の要因となり得るので注意が必要です。
人件費
従業員の給与や社会保険料の費用、退職金制度などを調査します。M&A成立後に、未払いの残業代、法令違反となる超過残業などが発覚した場合、買い手側が責任を負うことになるため、調査の時点でしっかりと見極めることが大切です。退職金や年金制度については、簿外債務が生じていないかなども確認することが大切です。また、買い手側の制度との違いが大きければ、従業員の不満のもととなるため、慎重に制度を移行する必要があります。
福利厚生
現状の福利厚生が従業員のニーズに合っているのかということに加えて、業界平均と比較して、従業員満足度が高いと考えられるかどうかなども確認します。
人事デューデリジェンスの流れ
人事デューデリジェンスを効率的に進めるためには、適切な手順を踏まえて、実行していくことが大切です。具体的な流れは次の通りです。
それぞれ詳しくみていきましょう。
調査チームで情報を共有する
人事デューデリジェンスは、人事専門家のコンサルティング会社や社会保険労務士などに依頼するのが一般的です。法務や財務、IT周りなどの専門知識も有したメンバーを加えたチームであれば、それぞれの専門分野の知見を活かして調査できるため、人事デューデリジェンスの精度が高くなります。
チームのメンバーは、人事デューデリジェンス実施前に、調査の目的や範囲、期待される成果などを共有します。過去のデータや関連資料などを整理して、各自でアクセスしやすい形にまとめることが、スムーズな情報共有に役立ちます。
売り手企業に資料開示請求をおこなう
売り手企業に対して、人事デューデリジェンスのために必要な資料の開示請求をおこないます。具体的には、次のような資料を開示してもらいます。
など
これらすべての資料に関して、「最新性(現在の状況を正確に把握しているか)」「正確性(内容に誤りがないか)」「完全性(必要な情報が欠けていないか)」をチェックします。不備や不足が認められた場合は、関係者と連携して補完します。
資料を分析する
資料の内容を確認したら、調査対象企業における人事のリスクを把握して、洗剤的な問題を明らかにするための分析も実施します。
主な分析手法は次の通りです。
分析の結果、改善すべき点が見えてきたら、人事PMIに活かしていきます。
マネジメントインタビューを実施する
マネジメントインタビューとは、マネジメントする側の人間、つまり経営陣や人事責任者に対しておこなうインタビューです。実施目的は、人事戦略や企業文化、リーダーシップスタイルなどへの理解を深めることです。インタビューは、次のようなテーマをもとに進めていきます。
インタビューで聞き出した情報は、資料やその他の調査データから得られた情報と照らし合わせることによって、潜在的なリスク要因や企業の内部ダイナミクスをより詳細かつ正確に把握することに役立てます。
人事デューデリジェンスの結果をまとめる
資料やデータの調査・分析およびマネジメントインタビューが終わったら、すべてのデータに一貫性を持たせた形でまとめます。買い手企業の経営陣やクライアントが見るものとなるため、調査チームは、内容がわかりやすく、説得力のある報告書に仕上げる必要があります。
報告書には、「リスク評価」「改善提案」「戦略的方向性」を盛り込みます。リスクや課題については、緊急性の高い項目を示し、優先順位を設定します。また、課題解決のための具体的なアクションも、提案として落とし込みます。
調査の結果をどのように実務に活用できるか提案する
人事デューデリジェンスの最終報告では、調査チームは、調査の結果をどのように実務に活用できるかを示します。これをもとに、企業はM&Aの成功に向けて、ベストな道筋と実施スケジュールを調整していきます。
人事デューデリジェンスの費用相場は?
人事デューデリジェンスにかかる費用は、対象企業の規模や調査範囲、調査の目的などによって大きく異なります。
費用の目安としては40万~200万円程度ですが、基本的に、人事デューデリジェンス単体でおこなわれるということはなく、法務デューデリジェンスや財務デューデリジェンス、税務デューデリジェンスなども併せて実施されることとなるため、総額で数百万円となる場合も多いでしょう。
M&A仲介会社に依頼する場合、デューデリジェンス全体の相場は、1日あたり2~5万円程度といわれていますが、弁護士や公認会計士などの専門家に依頼する場合、その5倍程度の報酬を支払うことになります。
人事デューデリジェンスの会計処理の方法は?
人事デューデリジェンスにかかった費用の会計処理の仕方は企業によって異なりますが、一般的には、次の方法で処理されます。
買収関連費用として処理する
もっとも一般的なのは、M&Aプロジェクトにおける「買収関連費用」として会計処理する方法です。当期の費用として計上して、買収交渉や契約締結前後に発生したコストを正確に反映させます。
資産計上する
人事デューデリジェンスに費用をかけることが、将来的な利益を生むとみなすことができる場合などは、資産計上とすることもあります。資産計上する場合、費用の発生時期や分類を慎重に判断することが重要です。
企業の会計方針や国際会計基準(IFRS)などに従った形で処理する
企業の会計方針や国際会計基準(IFRS)などの規定に則った形で処理することもあります。
上記のうちどの会計処理方法が適切であるかは、企業または業界などによって異なる場合があるため、誤った会計処理をおこなってしまうリスクを回避するためにも、自社の場合はどの方法が適切であるのかについて専門家にアドバイスを求めることが大切です。
売り手が人事デューデリジェンスで準備すべきことは?
人事デューデリジェンスを円滑に進めるためには、売り手企業側での事前の準備が欠かせません。買い手側から要求される資料に加え、想定質問に対する回答を整理しておくことが重要です。特に以下の点について、資料の整合性を確認し、論点をクリアにしておく必要があります。
これらの情報を事前に整理しておくことで、買い手側の不安を払拭し、M&A交渉を有利に進めることにも繋がります。 | M&A実務における売り手側の必須準備事項を具体的に提示しました。「簿外債務(未払い残業代)」「キーパーソンの意向」「退職給付債務」といった、企業価値評価やM&A後の事業継続に直結する実務的な論点を盛り込み、記事の実用性を大幅に高めます。
人事デューデリジェンスの注意点
人事デューデリジェンスを実施するにあたっては、次の点に注意することが大切です。
それぞれ詳しくみていきましょう。
従業員のケア
売り手企業の従業員は、自分たちの企業が買収されることに対して不安を抱きやすいものです。多くの従業員が、労働環境や評価の方法が変わるかもしれないと心配していることを理解して、適宜、コミュニケーションをとっていくことが大切です。従業員が、自分たちの気持ちが置いてけぼりであると感じるようなことがあれば、統合後に組織内で衝突が生じたり、優秀な人材が流出してしまったりといったリスクがあり得ます。
M&Aのスキームの違いによる人事制度への影響
M&Aによって人事制度に及ぶ影響は、M&Aのスキームによって異なります。そのため、スキームごとの特徴を理解したうえで、人事制度に影響が及ぶことに対して対策を講じておくことが重要です。
具体的にどんな影響が及ぶかというと、次の表の通りです。
| スキーム | 人事制度への影響 |
| 事業譲渡 | 労働契約の承継に関して、労働者一人ひとりから個別に同意を得る必要があるため、労働者視点で見ると、移転・承継の強制などの不利益を被ることはない |
| 合併 | 労働契約は変更されることなく、雇用主が存続会社または新設会社に変更となるため、存続会社または新設会社内に複数種類の労働契約が併存することになる場合がある |
| 会社分割 | 「吸収分割契約」または「新設分割計画」に基づき、どの労働契約が他方の既存会社または新設会社に承継されるか決定される。承継対象は会社同士によって決められることから、従業員は不利益を被る可能性がある |
| 株式譲渡 株式交換 株式移転 |
株主構成が変わるのみであるため、労働契約に影響が及ぶことはない |
クロスボーダー案件における、法制度や税制などの違い
海外を拠点にビジネスを展開している企業、または海外企業との間でM&Aを実施するクロスボーダー案件の場合、海外企業と日本企業とのM&Aということになるため、法制度や税制などの違いを理解したうえで手続きを進めていく必要があります。
人事デューデリジェンスの依頼先の選び方は?
人事デューデリジェンスを依頼する専門家を選ぶ際にチェックするポイントは次の通りです。
まずチェックすべきは、「人事デューデリジェンスを請け負った経験が豊富であるかどうか」「売り手企業の業種に明るいかどうか」など、“安心して任せられる依頼先かどうか”というポイントです。
こうした点をチェックして候補を絞ったところで、依頼できる範囲や費用などの条件を加味して、さらに絞り込んでいけるといいでしょう。
人事デューデリジェンスの精度はM&Aの成功に大きく関係する
前述の通り、人事デューデリジェンスの費用は決して安くはないため、「実施しなくてもよいのでは?」という考えになることもあるかもしれません。しかし、適切な人事デューデリジェンスが実施されなかった場合、事業統合後の人事PMIに大きな影響が出る可能性が高いため、人事デューデリジェンスにかける時間も費用も惜しまないことが望ましいといえます。また、「自社でできる」との考えもあるかもしれませんが、M&A成立後のリスクを極力排除するには、プロの目で厳しくチェックすることが必要なので、頼りになる専門家を見つけることも大切ですよ。
M&A・事業承継で失敗したくないなら
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「信頼できる相手を見つけたい」「交渉や手続きが不安」「適正な価格で取引したい」といった、M&Aに関するあらゆるお悩みを解決に導きます。
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この記事は、時点の情報を元に作成しています。
執筆 ジョブカンM&A編集部
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